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彩芽の音楽だより

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~地元アーティストの紹介④~【50になっても可愛い!】元JUDY AND MARYボーカル・YUKIを紹介!JUDY AND MARY時代にヒットしたあの曲も! -彩芽の音楽だより-

はじめに

皆さん、こんばんは!吉田彩芽です。5月も下旬になりましたが変わりなく過ごせていますか?こちらは気温が上がったり下がったりと安定しない気候で、服装を選ぶのが大変な状況です。こういう時期は風邪も引きやすいのでくれぐれも気を付けてください。

それでは、今回はこの方を紹介します。

JUDY AND MARYのボーカル・YUKIが可愛い!

まずはデビュー前の経歴から

JUDY AND MARYのボーカル・YUKIは、1972年(昭和47年)2月17日に北海道函館市で生まれました。出生名は磯谷有希。「希望が有ります様に」という意味を込め、祖父によって名付けられたそうです。それにしても素敵な名前ですね!

家族はご両親、姉、自分、弟の5人家族で、YUKIは次女にあたります。中でも弟さんは「民教(たみのり)」という珍しい名前だそうです。僕も知りませんでした。

また、彼女は弟の民教さんが生まれてすぐに深堀町から湯浜町に引っ越し、20歳で上京するまでの間を過ごしています。幼いころは北海道で過ごされていたということもあり勝手に親近感がわいてきます。

理由についてはプライベートのこともあるので伏せておきますが、それにしても僕と同じ地元であることに驚きです!

その後、「函館市駒場小学校」に通われていたようです。

小学校時代には歌とピアノを習っていたようですがうまく弾けなくて途中で辞めたとか。その頃から音楽に興味を持ち始め、広めているという点では僕も一緒です。

ちなみに僕も小3の頃からピアノを習っていて今も続けていますが、小5から20歳になるまで10年連続で出続けていたピアノ発表会は卒業し、JUDY AND MARYGLAYと同じような舞台でピアノを弾き続けています(あまりいい結果は出ていませんが…)。

また、彼女はポエマーだったことが理由でいじめられた過去もあるそうですが、大丈夫でしょうか。と聞きたいところですが、たまたま姉が音楽好きでレコードを全部聴いていたところ救われたとか。それが今の明るいYUKIさんを作り上げたのでしょう。確かに「そばかす」を聴いていてもいじめられていた頃の暗い影は見えません。ラジオでも元気よく話していたことを微かに覚えています(数回しか聴いていないので定かではないのですが)。

彼女は辛い小学校生活を経て、中学は函館市立深堀中学校、高校は私立遺愛女子高等学校に通っています。中学の頃にバレーボールを始め、高校ではバレーボール部のキャプテンを務めていたそうです。小柄なYUKIさんには想像つきません(身長は156cm。僕が思ったよりは高かった)。それにしてもピアノにバレー、何でもこなしますね!

しかし、もう一つ意外な事実が。

YUKIはこの頃素行が悪く、不良グループとの付き合いが増えていたようです。父が教師ということもあり、その反動ということも考えられます。僕も父が特別支援学校の教師なので共通しています。

そんな中、アブノーマルというガールズバンドを組み、GLAYの主催するライブに参加。「かまって」「モノクロームの思い出」という曲を作ったそう。

GLAYのJIROとYUKIは高校時代からの知り合いで、TAKUROら他のメンバーとも高校時代から交流していたとか。

GLAYの記事を見たい方は~地元アーティストの紹介③~【北海道函館市出身4人組バンド】GLAYのおすすめ楽曲2選! -彩芽の音楽だより-をチェック↓

ayamey141.hatenablog.com

TAKUROの著書『胸懐』ではTAKUROらも当時から別にバンドをやっていたYUKIとは顔見知りで、彼女の通っている高校でGLAYが人気である事を聞き、夜中にライブのポスターを貼りに行ったが実は貼った次の日からは夏休みだったというエピソードが語られている。

出展:
https://rubese.net/lpedia001/target.php?name=GLAY&id=119711

GLAYとはこんなエピソードがあり、夜中にこっそりライブのポスターを貼りに行ったらしい。しかしその翌日から夏休みだったということですから、聞いてて僕も笑えてきます。それだけ音楽に貪欲だったYUKIさんでしたが、高校卒業後は普通に就職。就職先は母がバスガイドをしていたこともあり函館のバス会社を選択。素行の悪い時期もあったが根は素直なため親も嬉しいでしょう。

だが、運転手のセクハラにより辞職。YUKIさんも女の子ですからいきなり体を触られるなんて嫌でしょうね。みんなもそういうときは逃げていい、訴えていい!

その後、函館大谷女子短期大学に進学。音楽一筋かと思いきや、意外といろんな経験を積み重ねているようでびっくりです!

JUDY AND MARYを結成してから

ここから話題はJUDY AND MARY時代に移り、曲を聴いた感想も含めて書いていきます。

JUDY AND MARYが結成されたのは彼女が学生の頃。ヴォーカルを探していた恩田快人さんと出会い、「バンドをやりたいがどうすればいいかわからない」と相談。それがきっかけでデモテープを送り、聴いてもらったところヴォーカルに抜擢された。

そして1992年2月、恩田、藤本と共にJUDY AND MARYを結成。快活でポジティブな女の子"ジュディ"と少しひねくれもののネガティブな女の子"マリー"という二面性を表しており、そのままYUKIに当てはまるためかこのバンド名になった。

同年4月、インディーズレーベルより「BE AMBITIOUS」を発表。11月にはサポートメンバーだった五十嵐公太が正式加入。制作・ライブの費用は恩田がすべて負担、メンバーにもしっかりギャラを支払っていた。ただ、アルバム発表・ライブ後は事実上解散状態となっており、この時点では一過性のつもりだったらしい。

しかしその後、恩田がバンドへの熱意が強く湧き上がり、フリーだったYUKIに再始動を告げた。準備が整うまで他のメンバーには告げず、デビューまでの段取りを行った。

JACKS'N'JOKERの脱退~デビュー契約などすべて整った時点で再始動を伝えたものの、藤本はすでにソロアルバムを別のバンドで作る構想があったため、脱退。

結局、結成当時からのメンバーは3人となり、93年2月にTAKUYAが加入。9月にエピックソニーより「POWER OF LOVE」でメジャーデビューした。

ここまで経歴を細かく書いていきましたが、以降はJUDY AND MARYの中で特におすすめしたい3曲を紹介したいと思います。

まずは3位から。第3位は、「POWER OF LOVE」です!

この曲はJUDY AND MARYのメジャーデビュー曲であり、曲の題名に似合うアップテンポな曲となっています。実際に聴いてみると、歌詞からもジュディマリの世界観が表れていて、とても前向きで明るくなります。特に象徴的なのが1番サビの最後に出てくる「100万馬力のpowerを神様どうか与えてください…」と2番の「明日世界が終わっても歌い続けて見せるから」という歌詞です。このフレーズを聴いていると、彼女がどれだけ音楽好きであるかわかります。初めて聴いたのですが、この歌詞には僕も共感でき勇気がもらえます。このような理由から第3位に選ばせていただきました。

この曲のPVがあるのでこちらを聴いてください↓

youtu.be

次に第2位。2位はどんな曲にしようか悩みましたが、「Over Drive」を選択しました!

この曲は、僕の想像にすぎませんが歌詞を聴く限り「冒険」をテーマに描いているような感じがします。この曲もまたYUKIの世界観が出ていて好きになりました。しかし、当初は「バギーバギー」というタイトルにしたかったらしい。

発売当時はカローラツーリングワゴンのCMソングとして起用され、その後、高校生クイズのエンディングテーマや野菜スープヌードルのCMソングと立て続けにタイアップされ、人気となった。「Over Drive」というタイトルがとにかくかっこいいので納得です。個人的には車で移動する際に聴きたい一曲です。

こちらも音源聴けます↓

www.youtube.com

そして、第1位の発表です。第1位に選ばせてもらった楽曲は、「そばかす」です!

この曲は「るろうに剣心」のオープニングテーマであり、JUDY AND MARYの中で唯一知っている楽曲でもあります。といってもさすがに当時は知らず、後からたまたまラジオで知った曲です。そのせいか、僕の中でジュディマリといえば「そばかす」というイメージが湧いてしまいます。

これも僕の想像ですが、YUKIの暗い過去をオープンにしているのでしょう。記事の前半にいじめられた過去について述べましたが、これもこの曲に詰まっています。ここから先は動画を見てもらいますが、その動画には「るろうに剣心」のキャラクター写真が貼ってあるのでリアルタイムで見た方は懐かしいな、と思いながら聴くと良いでしょう。

www.youtube.com

サビに出てくる「思い出はいつもキレイだけどそれだけじゃおなかがすくわ」思い出だけじゃまだ足りないことを言いたいのでしょう。何度も言いますが、明るいYUKIさんからは想像がつきません。ただ、その経験が現在悩んでいる人たちに勇気を与えたり、前進するきっかけになってくれれば僕もYUKIさんも嬉しいです。演奏からも着実に前に進んでいることがとても分かります。

以上で、JUDY AND MARYの特にお勧めしたい楽曲を紹介しました。ここまで見ていただきありがとうございます。

おわりに

「そばかす」でヒットしたJUDY AND MARYのその後だが、恩田の方から「このまま続けていくことはできない」との申し出があり、他のメンバーはバンド解散を考えた。その前提でアルバムを制作後、2001年3月をもって解散。

YUKIは解散後も音楽活動に意欲的で、同年10月にはガールズバンド「Mean Machine」でドラムを務めたほど。

2002年2月6日に本格的なソロ活動を始め、今年で20周年となった。同時に50になり歳を取ってもおかしくない年齢だが、若々しさが保たれ可愛い素敵な女性のままここまできたのはとてもすごいことです。相当努力をしてきた証拠がここに出ています。僕もこんな男性になりたいです。

以上で、元JUDY AND MARYのボーカル・YUKIさんについて紹介しました。函館市出身でGLAYのJIROさんと知り合いという点でも驚きました!

 

JUDY AND MARY時代のヒット曲「そばかす」を聴きたい方はこちら↓

 

 

 

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